19年
前回の内容について書いた
当時連載をしていた月刊誌の原稿です。
新しい生徒さんは、私が
こういうへたくそマンガエッセイなどを描くことを
知らない方も多いのですが、、、
見てみたいです~というリクエストにお応えして
恥ずかしながら掲載いたします。
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平成7年1月17日の阪神大震災。
多くの方が大変な被害に遭われたことに、私たちは皆、大きなショックを受けました。
あの朝、テレビをつけると燃える神戸の街が…。
「大変だ・・・!」
神戸に一人で住む弟の身を案じて電話をしたんだけど、もう通じない…。
両親に電話をすると、地震の直後に連絡があったそうです。
「怖かった。外も中もめちゃくちゃだけど、俺は大丈夫。」
それを聞いてホッと安心したのですが。
昨日、私たちは神戸で弟に会っていたんです。
正月にも実家に顔を見せなかった彼に
「お父さんやお母さんはあんたの事を一番考えてくれているんだから、
何かの時は一番最初に連絡するのよ。」
などと、お姉ちゃん(私)は偉そうに言ったわけで。
『何かの時』はずいぶん早く来たものだと不思議に思いました。
震災後、弟は母の送った荷物の中のジュースを飲み、食料を食べ、
毛布にくるまって暖をとりました。
そして洗濯ができず、下着もとうとうなくなり、
なんと彼は母が送った父用のでっかいブリーフをはくはめに…。
「あの子、結局お父さんのブリーフをはいたのよ。
それでね、『ブリーフって結構あったかいんだな』ですって。ハハハ~。」
そう言って母は笑いました。
当時の苦労を思うと不謹慎だけど、身内のことなので私もつい笑ってしまいました。
弟はあの地震の後、十キロもやせてしまったというのにね。ごめんね、ケンちゃん。
しかし、不思議なことでした。
あれは単なる偶然か、ムシの知らせか、
本人の意識しないところの予知能力か、はたまた母の愛なのでしょうか?
人間には誰にも未知なる力があるのだと、私は信じずにはいられません。
(「愛情ちゃわんむし・阪神大震災と父のブリーフ」日本教文社1995~2010年)
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母は昔から不思議ちゃんでしたが
今もますます磨きのかかる不思議ちゃんです。